SE構法施工物件紹介[住宅 23]
自分たちの事務所を、平面的な広がりだけでなく立体的な広がりで構想し、戦後黎明期の近代住宅の空間の考え方に倣い、SE構法で実現した。
「南区の離れ」は、岡山市南区彦崎に建つバウムスタイルアーキテクトの事務所である。今回は代表の藤原昌彦さんにお話をうかがった。
彦崎は、岡山市の南部、倉敷市との市境に位置する集落で、南側には山塊が迫る。古くは児島湾に面した山裾で、敷地のすぐそばには史跡「彦崎貝塚」があり、古くから人の住んだ地域である。 JR西日本の宇野線彦崎駅が最寄りだが、1988年に瀬戸大橋が開通、本四備讃線が開業して宇高連絡船は廃止、宇野線はメインルートから外れた。一方で岡山は東日本大震災後に関東圏からの移住者が増えており、近隣の山裾が切り開かれ、大規模な住宅地も誕生した。藤原さんはその彦崎で生まれ育った。そしてこの場所を離れることなく、実家の隣に小住宅のような「南区の離れ」を建てて事務所を営んでいる。
藤原さんの事務所は、一見、設計専業の事務所に見えるが実は工務店でもあり、設計施工を一貫で行う組織である。これは藤原さんの経歴を物語るものでもある。
1975年生まれの藤原さんは、高校を卒業して香川県職業能力開発短期大学校に進学、卒業後は内装材の卸会社に就職する。内装設計部門があったからだが、実際にはそれ以外の仕事もたくさん回ってきて、何のために建築の道に進んだのかわからなくなりそうになって3年で転職する。工務店に転職したかったが、折しもバブル後の就職難で思うようには行かず、木工事を専門に請け負う会社に転職した。専属の大工がいて加工場もある会社で施工図を描くのが主な仕事だった。そこで2年働き、今度は岡山の工務店に転職した。主に現場監督の仕事を学びつつ図面も描いた。3年目に知人の紹介で、ある会社が住宅の事業部をゼロから立ち上げるので一緒にやらないかと誘われ3回目の転職をする。そこで8年勤め、1級建築士の資格も取得して、独立した。
この経歴が興味深いのは、藤原さんが、建材流通、施工図、現場監督、住宅設計の順で建築を学んでいる点である。言い換えればモノとその納まりから建築の成り立ちを理解し、設計へと至っているところである。彼は学生のころから『新建築』などの建築専門誌を購読し、建築家になるという目標を追い続け、前述のような実務経験を強味に設計施工を実践する組織をつくり上げた。スタッフもみな図面も描けば現場監督もこなす。小さなゼネコンのようである。
藤原さんとSE構法の出会いは、『新建築住宅特集』1999年1月号に掲載された特集記事を読んで以来とのことなので20年近く前に遡る。その藤原さんが、前職時代のある日、エヌ・シー・エヌからFAXで広島で行われるセミナーの案内が届いたのを目にした。社内を説得してセミナーへと出向き、共感してSE構法の登録店にした。もちろん独立後のバウムスタイルアーキテクトも登録施工店である。
「南区の離れ」は彦崎駅から南に200mほどのところに位置する。前面道路は北側で、新興住宅地と向き合っている。一方で東西に隣接する古くからの住宅群は、外壁にこの地域でよ使われてきた焼き杉を用いていて、対比的な風景が生まれている。藤原さんは外壁仕上げにその焼き杉を採用し、伝統的な景観との連続性を意識した。切妻を北に向けたファサードには1階と2階に小さな窓がひとつずつ、大きな開口はなく、代わりに植栽の間にコンクリート製のベンチをひとつ据えている。閉じつつも場を提供する外観の構えは、現代人の社会性の表現のひとつとしても理解できる。
玄関は南側で、西側から回り込んでアプローチする。小さな建物だがそれを感じさせないように長いアプローチを設け、人が出会う場に至るまでの時空間を演出している。玄関を入るとダイニングとその奥にキッチン、右手の1段上がったところがリビングスペースで、その脇に2階に上がる階段がある。上がり切る手前に2FLから400mm下がった踊り場のようなスペースがあり、そこが藤原さんの席である。この部分は主要構造体ではなく2次部材で構成されている。つまりSE構法の中にサブの架構が組み込まれた、木造同士のハイブリッド構造となっている。こうした考え方は今後のSE構法の展開を感じさせる。
2階は事務所スペースである。トイレは1階で浴室はない。独立した住宅ではなく、あくまでも隣接する実家の離れで、用途不可分という法的位置づけである。だが、藤原さんは住宅のような空間で仕事がしたかったので、このような仕様となった。いつか自分が住むことも視野に入れているかもしれない。
戦後直後の最小限住宅と同じスケールなのだから、SE構法でなくとも在来工法でもつくれそうに思える。しかしこの建物はその最小限住宅同様、小さな空間の中に大きな吹抜けを持つ。しかも2FL-400mmの踊り場部分は主要構造体ではないから構造的には半分が吹抜け扱いとなる。したがって東壁面の耐風圧を担保するためには在来工法では軒桁レベルで水平に火打ち梁を入れて強化するなどの手当てが必要になるが、入隅の納まりを重視して藤原さんはそれを避けた。そして在来工法だと2階の中心部X4-Y6に出てくる柱も抜いた。
藤原さんが大事にしたこの空間の質を実現するためには、SE構法が最適解であった。木造の架構方法には、古社寺の歴史を見ればわかるとおりいくつかの方法があるが、同じスケールでもそれが異なれば空間の質は確実に異なってくる。「南区の離れ」では、SE構法が、構造的な堅牢さはもちろんのこと、大スパンを獲得するためではなく、小さな空間であってもその空間の質を確保するための構法として選択されたのである。
南区の離れ
設計・SE施工:バウムスタイルアーキテクト
写真:新澤一平 文:橋本 純